こんにちは、シャトーブリアンです。
ホーチミンの移動で欠かせないのがバイク。
日本に比べるとかなり危ない交通事情ではありますが、郷に入れば郷に従う。こちらのルールに順応しながら運転すること1年ちょっと。
スピードは常にゆっくり、確認も怠らない安全運転の日々です。
が、車にはねられましたー。
ホーチミンで車にはねられた
バイクを運転中、乗用車にはねられたそうです。
そうです?
はい、そのときのことは全く覚えていません。聞いた話によると、はねられたんだとか…。
事故の経緯
3車線ある道路へ左折で入りました。
右側へ車線を変更しようとしたところ、大型トレーラーが横切ってきたので、そのトレーラーが車線の変更を終えるまで徐行しながら待っていました。
トレーラーが車線変更を終えた後、右の方へ移動した・・・はず。
記憶がここまでしかありません。
ぶつかってきた車が言うには、トレーラーで見えなくてはねてしまったのだとか。
絵で説明するとこんな感じかな?たぶんw
はねられた直後
はねられてから15分ほど意識がなかったそうですが、その15分間、どこでどんな処置がなされていたのかは不明w
会話ができるようになったのは事故からおよそ30分後のこと。らしい…
道路脇の広めの路肩で寝かされていたのかな?直で?炎天下に?意識がなくても救急とかは呼ばないんだぁ。
と、あとあと湧いてきた疑問w
でも、ここは全く記憶にない部分です。
目を覚ました私
ここのところも全然覚えていないのです。
記憶にあるのはおじさんに促されて道端にあるプラスチックのイスに座ったところから。座ったとき、すごくぼーっとしていたことは覚えている。
青い空に広い道路、見慣れないマンション群、取り囲むようにいるたくさんのベトナム人のおじさんたち。
ふと視線を落すと血だらけ。
血だらけ・・・
ん?血だらけ?!
「えぇぇぇぇぇぇ!?????」
なんで血だらけ?!
「えぇぇぇぇぇぇ??????」
全く状況が掴めない・・・
そして「ここどこ?」ってなった。
「ここはどこ?私は誰?」というセリフで子どものときに遊んだことがあったけど、まさにそれ状態。私は誰?とはならなかったけど、場所についてはさっぱりだった。
わーわーとベトナム語が飛び交う中、1人のおじさんがカタコトの英語で話しかけてきた。場所の説明をしてくれて、ここがどこなのかはなんとなく理解できた。
でも「なんでここにいるの?」という状態。
必死に今日って何曜日?なんでこの道?どこに行こうとしてた?などを思い出そうとしても、ぼーっとした頭からは何の答えも出てこない。
そのもどかしさから「ここはどこ?なんで?」を連発していた。
悲劇のヒロインみたいなセリフを放っている間、おじさんが代わる代わる傷の手当てをしてくれていた。水をかけてティッシュで拭く、これを繰り返していたw
正確な人数は覚えていないけど、結構な数のおじさんたちに取り囲まれていた。
カラダの傷、よくわからん人だかり、そして目の前にある私のバイク。それらを、ただただ、ぼーっと見つめていた。
しばらく時がすぎ、視界に入るものたちから「自分は事故に遭ったのかも?」と連想。ドラマでよく見るけど、ここって本当に時差が発生するのね。
そして、ようやく「何があったの?」というセリフが出てきた。
一生懸命に説明をしてくれるおじさん。
その説明を聞きながらもなぜかそれは他人事のよう。そう、全く思い出せないから、聞いても自分のこととは思えない。
だから、またもう1回聞く。
これを数回繰り返した後、ふと耳に入ってきた言葉。
「トレーラー」
この「トレーラー」という一言をきっかけに、一気に記憶が蘇り、全てがつながった。なんでここにいるのか、どこから来たのかも思い出した。
ただ、覚えていたのはトレーラーがどくのを待っていたというところまで。
そうか、どうやら私は車にはねられたみたい・・・
なんではねられたの?
で、なんではねられたの?という話。
ここはベトナム。
バイクに乗る以上、何があっても自己責任。うん、何があっても。
それは重々承知なので相手を責める気などない。
ただ事故の状況をちゃんと知りたかった。
だけど、相手は「俺は悪くない、トレーラーで見えなかったんだから!」の一点張り。
そうじゃなくってさぁ…。
私はどこにいて、どっちから車が来て…とか、そういう詳細を知りたいのよね。
でも、繰り返される「俺は悪くない」というセリフ。
このやりとりに、ぼーっとした頭はもう諦めモード。
見えなくてはねちゃったんだね、そっかぁ、そうなんだね。とw
不思議なほど冷静だった瞬間
人をはねちゃってるうえに見えなかったって…
過失を認めちゃってるやん?とも思えるセリフだけど、自分は悪くないとおっしゃるこのお方。それに、私には「トレーラーがどくのを待っていた」というところまでしか記憶がない。
逆に、それをいいことに「お前のせいで車がへこんだ。修理代出せ!」などと言われないかとちょっと心配に…。言葉のわからない外国人、しかもマヌケそうなこの女ちょろいぜ、とか思われたりしていないだろうか…。
恐る恐る聞いてみた。
「あなたの車は大丈夫?」
『ぶつかったところがへこんでしまったけど、まぁ大丈夫だよ』
「なら良かった…(いろんな意味でw)」
はねておきながらお金まで取ろうという悪人ではなくて良かったぁ。ホッ。
このとき、警察も来ていた。
言葉をかわすこともなく、彼はすぐに去っていったけど。
何しに来てたんだろう?そういうもんなの?w
病院へ行く?
「病院へ連れて行こうか?」と言われた。
ひざ、腕、指、顔…といたるところに傷を負い、さらに15分も意識がなかった状態。明らかに行ったほうが良さそうだけど、気になるお財布事情。
「お金払ってくれるの?」と聞いてみたところ、首を横に振ってくるではないか。
自腹確定の瞬間、行く気がなくなったw
病院の質、時間、言葉、お金…瞬時にいろんなものを天秤にかけ、そうなった。(意外と冷静なものである)
大量のアドレナリン
病院には行かないことになった。
事故からどのくらいの時間がたったのかはわからないけど、もう悲劇のヒロインはとっくに去り、結構冷静な自分がそこにはいた。
そしてソイツ、「じゃあ帰るね!」と言ってバイクに乗ろうとした。
慌てて止めに入るベトナム人たち。
そりゃそうだ、どう見ても運転しないほうがいいイデタチw
その見るのも痛々しい傷が、このときはなぜかそんなに痛くはなかった。
「これが世に言うアドレナリンのパワーか!」と気づいたのは後のこと。
アドレナリンが大量に出ると痛みを感じにくくなるって本当なのね。人間ってうまくできてるなぁ。
結局、事故した相手の車に乗って帰宅することになったんだけど、このときには家までの道のりをちゃんと説明できるほどの状態になっていた。
ドクター現る
アパートの受付に着いたとき、どっと疲れがやってきた。
異国の地で車にはねられ記憶もおぼろげな中、言葉の壁を乗り越えながらのココまで。どのくらいの時間が経ったのかもわからない。そりゃそうなるよね。
ドライバーが受付のお姉ちゃんにベトナム語で経緯を説明し、その後、ベトナム人のおじさんたち御一行はスマイルで帰っていった。
ソファに座り、受付の子に傷の手当てをしてもらった。
ものすごい激痛が走った。
激痛→叫ぶ→耐える、の繰り返し。
アドレナリンパワーはもう切れていた。
あれが切れちゃうと、すごい痛みを負っていることに気づく。
傷だけでなく、頭もものすごく痛い。
まるで頭に心臓があるかのようにドクドクズキズキ。
そんなこんなの処置をしていると「私はドクターです」という住人が現れた。なんかドラマみたいな展開。こんなことってあるんだねw
このとき初めてお会いした住人さんでしたが、お医者さんがいたとはラッキー☆不幸中の幸いとはこのことか。
ドイツ人医師である彼は私をソファに寝かし、あれやこれやと手際よく処置をしていく。そして「めまいは?吐き気は?」などを聞いてくる。あ、お医者さんって感じ。
どうやら骨は折れていない模様。良かったぁ!
処置後、しばらく安静にするようにということで、ベットに横になりながら受付の子とおしゃべり。
すると彼女は「あのドライバーはいい人だよ!」と言ってきた。はねられた側としては「???」である。
「逃げないなんていい人だよ~」と。
あ、そういうことw
あ、ここはベトナムだった・・・
気をつけたとて、、、な世界ですが、事故が減ることを願っています。

ふりかけ買いに行ってはねられた
翌日、病院に行ってみたよ
