こんにちは、シャトーブリアンです。
ホーチミン市での完全外出禁止のロックダウン、まだまだ続くようですね。あぁ、買い物に行けなくなって早くも4週間近くになるのかぁw
完全外出禁止直前の食糧集めには大変な苦労をしました。
がんばった様子:ホーチミンでのロックダウン、さらに厳しくなってこんな感じで暮らしています。
そこで起きたモヤッとする出来事。
感情の整理がうまくない者のBOYAKIです。
モヤットボールを投げる
たった2日で食糧を2週間分集めろというゲームに挑んだわけですが、そりゃあ難を極める戦いでして…
でも、なんとかなりそうな程度は集まったというか、あるものでなんとかやっていこうというか、そんな状況でした。
そんな折、ふとベジタリアンの知人を思い出したのです。
前回の野菜品薄のときも気になっていたんだけど、あのときはスーパー閉鎖のウワサはなかったのでまぁ大丈夫かなと。でも今回はお店が閉まるしなぁ・・・
ちょっと気になってメールをしてみると、やっぱり野菜が足りないそう。
幸い、野菜は近所の闇市で手にいれることができたので、お役に立てるかなぁ?と思い、届けることにしました。
朝イチで見に行くと、やってた闇市w
何件かの八百屋さんをまわり、結構な野菜を手に入れることができたのでひと安心。
といっても根菜ばかりなのですが、まぁ根菜は日持ちするしね。
じゃがいも3kgにはじまり、にんじん、アボカド、さつまいも、きゅうり、玉ねぎ、マンゴーなど、まぁまぁな量を無事にお届けすることができました。
お渡ししたときはうれしそうに喜んでくれ、「あぁ食べるもんがないとかにならなくて良かったぁ!」とホッとしました。
この受け渡しも道のバリケード越しにというね…
ホーチミンはこんな状況なんですよね。
ミッション終了後に近所のスーパーへ最終買い出しに行き、そしておうちに着いた頃、お野菜を届けた彼女からメールが来ました。
「うれしくて友人におすそわけしました」
「これ、おすそわけした友人が送ってくれた写真です」と。
え?おすそわけ?
なんだか心がざわざわ・・・
うーん・・・
ご夫婦に食べてほしくて集めたものなんだけどなぁ・・・
その友人からの写真とやらは「お野菜もらった、助け合いうぇぇーい!」みたいなメッセージと野菜を載せたSNSらしきもののスクショだった。
あ、実際はこのようには言っていないですw
情報社会なのでさすがに同じ言葉は控えますが、私にはこう響いた内容でした。
そして、その写真を見ると・・・
結構な量をお渡しされたんだと知ることになる。
家族かもしれないしな、その人もベジタリアンかもしれないしな・・・いろいろ考えてみるが、モヤっとする。
今回お届けしようと思ったのは、大袈裟に言えば「食に困らないでほしい」というような気持ちだったんだよね。マジで大袈裟だけど、そう思ってしまうほど物と情報が手に入らなかったんだよね。
そんな想いで届けたのでお代はいらないと伝えました。
ですが、彼女は受け取ってほしいとお金を出してくれました。逆の立場だと受け取ってほしいよなぁとも思ったので受け取ろうとしたんですが、「これで足りる?」と差し出された額は半分にも満たなくて…。正直な金額が言い出しづらくなったので、受け取るのはやめておくことに。
あれ、結局はお金?
「助け合いうぇぇーい」さんへの出費が気にいらんかったのか?w
たしかにね、そんな見ず知らずの人への余裕なんてない。
いやぁ、でもなぁ、お金じゃないと思うんだけどな、この気持ち。
うまく言葉にできない繊細野郎・・・
そもそも、いろいろと確認しなかった私も悪い。
普段の食事量を知らないし、ベジタリアンといえど、どんな食事をしているかも知らなかったしなぁ。もしかしたらオーガニック野菜しか食べないのという人だったかもしれないし、ネット注文に長けていてこの先の目処が立っていたのかもしれない。
結局のところ、その知人のことをよく知らなかったのだ。
それに「いやいや、それ安すぎやで」などを言える間柄でもなかったのだ。
以前のアルバイト先でお世話になったご夫婦で、ちょこちょこお話したり、ご主人にもよく助けてもらったりもした。何かお手伝いできればと思ったんだけど、そんな必要なかったのかも。
量の問題なら「多いよ」とその場で言ってくれれば良かったのになぁ…と、自分は言えないくせに相手には求めるw
素敵なご夫婦だから、野菜が少ないの~と言っている友人にお裾分けしたという単純な流れだと思うんだけど、なんかそういう方向には考えられずに負の感情がやってくる。
歪んでる?
人付き合いに慣れてない?
どちらにせよ、あのメールは見たくなかったなぁ。
「助け合いうぇぇーい」なんてさ。
(こうは言ってないけどw)
お裾分けしていたとしても知らないほうが幸せだったな。
結果的にはあのお野菜で2世帯がハッピーになれたんだと思えばすごくいいことなのに、なぜかそう思えない。
震災のとき、壊滅的な街に父の友人が他府県から歩いて食糧を届けてくれたことがあったんだよね。あのとき食べたチョコレートのおいしさは本当に忘れられない。
例えばそのとき、私がチョコをお友だちにあげたとしても父の友人は喜んでくれただろうなぁ。
それと同じことなんだろうけど、なぜかそうならない。
見知らぬ人のことまで喜べる心広き人間ではなかったし、人の手に渡ったものなのに悶々とする小っっせぇヤツだったんだなぁ…
道端で会った無料玉ねぎおじちゃんに感化されて勇気を出したけど、似合わないことはするもんじゃなかったな。
なんかモヤッとした感情に苛まれるだけの結果になったよ。
彼女はとても感謝しているという内容のメールをくれて、もちろんその気持ちもよく伝わってくるんだけど、私にはこの感情の処理の仕方がわかりませぬ。なので返事も返せていないという…
「お役に立ててよかった」とさらりと返せばいいんだけど、なんか打てなくなっているめんどくさいオレ。
よくわからぬ感情からたどり着いたのは「自分のことだけにしよう」ということ。
人の心配なんてさ・・・そんな器じゃなかったわww
でも、この気持ちはやっぱりよくわからないのでモヤットボール投げとくね!
再びマウンドに立たされる
ってな感じでモヤットボールを投げました。
キャッチャーのいないボールがその辺に転がったままだけど、もうマウンドから降りたのでボールに込めた想いなどはどうでもよくなっていた。
そんなある日、再びメールが届いたのです。
それはそれは感謝しているという内容で、読んでいて「あぁ食べるものに困らなくて本当によかったぁ!」と安心しました。
でも、また返事を返せていない…
今後を思うなら正直な気持ちを伝えたほうがいいのかなぁと思うけど、このよくわからぬ感情を言葉で表すのは難しいし、文章で送るってのもなんだかなぁ。それに言ったとて、言われたとて、だよね。
かといって、スルーしておくのもオトナゲナイ。
でもでも、時が過ぎたとはいえ、あのとき感じた気持ちをないことにするのもなぁ…
で、一度マウンドに立ってみた。
今度はキャッチャーがいるぞ。
だけど、どう球を投げていいかわからない。
ストレート?変化球?
かつて、トラの守護神と呼ばれた藤川球児並みに一球への準備をしてみたが、その一球がなかなか投げられない。
マウンドにボールをそっと置き退場。
考えるのがめんどくさくなったのでまた放置。
もうこれが答えなのかなw

思い出思い出w